※ネタバレしかないです
須賀さんの奥さんの考察。
最近よく目にする奥さんも巫女だったと言う説のことですね。
それについてなんですけど…
結論から言うと、私は違うと思います。
というか、私は違う方が嬉しいなー。私は違う方が好みだなーと言うだけで、あの考察を否定したいわけでは無いので悪しからず…。あくまで私の意見です。
何なら、私も初めて読んだときは「なるほど!」と思いました笑。でも改めて自分の解釈を整理して、映画をもう一度見てやっぱり違うなと思い、念のため小説も読んでみた結果として、私は違うと思ったまでです。
ちなみにその考察はこちら↓
何この天気の子の考察、すげえ #天気の子 pic.twitter.com/Ms9uULjXB5
— えんじぇる😇🦋 (@mpfv5) 2019年8月3日
ではいってみよう
私が違うと思う点
須賀は空の上の世界を信じていない
例の考察で須賀は「オカルトものに関心があり、それを仕事にしているのも、妻のことがあったから。須賀自身も未知の力を誰よりも信じている」と書かれています。
ですが、これはパンフのインタビューで監督に否定されていますね。
帆高と須賀を対立させるとなると、須賀も空の上の世界を信じていなければいけないことになってしまう。でもそれはどうも違う。なぜなら須賀はアウトローだけど観客の代弁者であるからです。須賀はむしろ常識人で、世間や観客の代弁者でもあって、社会常識に則って帆高を止めようとはするけど、最後はやっぱり味方だということにしたんです。(パンフレットより)
小説でもそのような描写があります。
俺は、天気の巫女だの晴れ女だのは信じていない。その後に起きたいくつかの出来後には、他にいくらでも合理的な説明がつくはずだと思っている。(小説より)
まあ、奥さんが天気の巫女であったことを須賀は認めたくないだけ…という一周まわった見方もできなくもないこともないこともないような気もしますが…少なくとも
須賀自身も未知の力を誰よりも信じていると言う点は間違いです。
ちなみに、K&Aプランニングはオカルト専門の会社ではありません。
もし須賀が天気の巫女を知っていたのなら、なぜ陽菜に力を使わせたのか
本編で、須賀はとても人間臭いキャラとして描かれています。ですが須賀は娘の萌花のために、陽菜に晴れ女の力を使わせています。
晴れ女の代償(体が透明になっていく)が、時間の経過によるものなのか、力を使い過ぎたからなのかは分かりません。ですが、もし仮に須賀が天気の巫女に関わる全てを知っていたとして、わざわざ陽菜に力を使わせるものでしょうか。
私にはそこが疑問です。
スパンが早い
小説版よりK&Aプランニングが出来たのは4年前ということが分かるので、須賀の奥さんが亡くなったのは4年前より後の出来後です。
"おかしくなった天気を治療すること"が天気の巫女の役割なので、もし須賀の奥さんも天気の巫女だとすると、亡くなった年も雨ばかり降っていたということになります。しかし、数年前も雨ばかり降っていたという描写はありませんでした。娘の為に晴れ女の力を使い過ぎたと言われていますが、異常気象でもない普通の年に、わざわざ力を使い過ぎる必要があるのでしょうか。それも喘息持ちの小さな子を残してまで、自分が消えることを選ぶとは考えにくいです。
後これは私の単純な好みなのですが、そんなに天気の巫女がぽんぽんぽんぽん生まれているようでは、神秘的さやロマンチックさにかけると思います………こういうのは何十年、何百年に時々起きる方が楽しいです……私が。笑
矛盾点の解釈
「じゃあ須賀の奥さんが天気の巫女じゃなかっな場合、この問題はどうするんだ」
という点について私の解釈を説明します。
なぜ須賀は代々木の廃ビルにいたのか
率直に言うと、夏美から場所を聞いたのではないかと思います。
夏美は帆高が"代々木の廃ビル"に向かっていることを知っています。また、須賀は帆高の現在地を位置情報アプリで監視しています。どちらから連絡したのかは分かりませんが、夏美から聞いた情報を元に、帆高の現在地を確認しながら、代々木の廃ビルを探し回ったのではないかと思います。だから、須賀は「探したぞ」と言ったのです。
そして実際、凪は代々木の廃ビルに辿り着けています。陽菜から事前に聞いていた可能性もありますが、凪は「陽菜が消えたこと、帆高が捕まったこと、児童相談所で保護されていること」を夏美に電話で伝えています。凪と夏美は直接連絡を取り合っていることが分かるので、凪も夏美から代々木の廃ビルを聞いた、と考えても不自然ではありません。
また、須賀も凪や萌花と同様、陽菜の夢を見ています。
そうだ、俺も夢に見たのだ。鳥居のあるビルの屋上から、晴れ女が空に昇っていく光景を。(小説より)
以上のことから、須賀は全てを知らなくても、代々木の廃ビルにたどり着けると思います。
意味深な指輪は何なのか
須賀は指輪を2つ着けています。そしてその指輪のカットが何度か描写されていることから「奥さんも実は天気の巫女だった。指輪はその対比である」という考察がされています。
これも結論から言うと、私は単純に"奥さんの形見"という意味だけだと思います。
亡くなったパートナーの形見として、指輪を2つ着けるというのはよくある描写です。須賀は、冷蔵庫に貼られた奥さんのメモすらまだ捨てられていません。乾いたように見える須賀は、実は愛する奥さんを亡くしていて、まだ奥さんのことを想い続けている。
帆高が陽菜に贈った指輪、奥さんの形見の指輪。そのどちらも2人の愛の象徴であり、その対比なのだと思います。
突然流した涙は何なのか
まず大前提として、この映画では余計な描写は語られないことが多いです。実際、帆高が家出した理由や、陽菜の両親などの細かいことは語られていません。そのため、須賀の奥さんが亡くなったことについても同様です。
小説で語られているのですが、須賀の家は地方で代々議員をやっているような名家です。須賀は東京に家出をし、そこで奥さんと出会い、両家の喧嘩になるような大恋愛の末に結ばれました。
よって、昔の須賀は今の帆高と似ているのです。東京に家出し、そこで陽菜と出会い、もう一度陽菜さんに会うために、現在進行形で人生を棒に振っている帆高と。
奥さんを亡くし、娘とも離れ離れにされ、諦めて大人になるしか無かった須賀には、帆高の真っ直ぐな生き方はどこか眩しく、懐かしく、思い出したくない感情を引き起こすものだったのではないでしょうか。
須賀が涙するシーンですが、小説ではこのように書かれています。
そこまでして会いたい人。帆高にはいるのか。俺にはどうか。全部を放り投げてまで会いたい人。世の中全部からお前は間違えていると嗤われたとしても、会いたい誰か。
「_____須賀さん、あなた」
俺にも、かつてはいたのだ。明日花。もしも、もう一度君に会えるのだとしたら、俺はどうする?俺もきっと_____。
帆高と同じことをする。
無我夢中で陽菜を助けようとする帆高に、無意識的に昔の自分と重ねたのではないでしょうか。社会的に見て、大人の立場から見て、「大人になれよ」と帆高を促していた須賀ですが、自分の感情に蓋をして、気づかないようにしていた、そんな気持ちに気付いてしまったことで須賀は涙を流したのだと思います。
なぜ須賀は帆高を助けたのか
上記に記述した通りですが、須賀と帆高は対比する存在でありながら、似ている存在でもあるのです。
普通に考えて、社会的に見て、大人の立場から帆高を止めようと廃ビルにやってきた須賀ですが、須賀自身も明日花のためなら帆高と同じことをするだろう…ということを、薄々分かってしまっているのだと思います。
「俺はただ、もう一度あの人に____」
「____会いたいんだっ!」
そんな言葉を帆高本人から聞いた須賀は、これ以上自分の気持ちに蓋をして大人になることはできなかった。
ちなみに私は「てめえらが_____帆高に触んな!」のセリフが大好きです。大人の立場からしか見ていなかった須賀が、社会的な常識を捨てて帆高を守った、突き動かされるように動いてしまった。奥さんを亡くし、娘とも離れ離れにされ、大人になるしかなかった。そんな須賀の本心がやっと聞けたような気がしたからです。
最後に
以上が、私が「須賀の奥さんは天気の巫女では無かった」と思う理由です。もう一度言いますが、解釈は人それぞれですので否定するつもりは全くありません。
まあ、あまりにも奥さんが天気の巫女説が広がってるからいやいや、違うだろ!と言いたかったってのあるっちゃあるけど…………
あくまで私の感想文だと思っていただければ!!!笑
ぶっちゃけ物申すつもりで書いた記事でしたが…改めて天気の子について深く考えるきっかけにもなったし、読書感想文でも書くのかよってくらい小説もめっちゃ真剣に読んだし、凄く楽しかったです笑
何より、自分の解釈が整理できて良かった!笑
もし、こんな拙い文章を読んでいただけなら嬉しいです。あなたの解釈が広がるきっかけになると幸いです…。
【追記】
目次を追加しました!!やっとやり方が分かった!!笑